原田周大選手は、パリ五輪ボクシング代表選手です。
原田周大選手は、23歳という若さなので、出身中学や高校などの学歴が気になりますよね!
そこで、この記事では、原田周大選手の学歴について、まとめていきます。
原田周大の学歴(出身高校など)!
原田周大選手の学歴は、こちらです。
- 北九州市立曽根中学校?
- 豊国学園高校
- 専修大学
では、それぞれ詳しく見ていきましょう!
出身中学は、北九州市立曽根中学校?
原田周大選手の出身中学校は、現時点では公表されていません。
しかし、以下の点から、北九州市立曽根中学校出身なのではないかと予想できます。
- 通っていた「HKスポーツボクシングジム」が地元である。
- 通っていた中学校には、サッカー部がなかった。
原田周大選手が、ボクシングを始めたのは12歳の頃で、進学した中学校にサッカー部がなかったことがきっかけだそうです。
原田がボクシングに出会ったのは中学1年生。それまでサッカーに熱中する日々を送っていたが、進学した中学校にはサッカー部が無かった。そこで兄が通っていた地元のボクシングジムに見学へ行くことになり、競技人生がスタート。
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原田周大選手は、ボクシングを始める前は、サッカーをやっていたようですね。
中学校にサッカー部がなかったため、原田周大選手の兄が当時通っていた、地元の「HKスポーツボクシングジム」に通うようになったそうです。
最初はひたすら素振りを繰り返す基礎練習ばかりで「楽しくなかった、何度もサッカーをやり直したいと思った」と話す。それでも、「諦めるのはダサい、続ける」という一心で継続すると、初めてのスパーリングでは今まで体感したことのない楽しさを味わい、徐々にのめり込んでいった。
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「HKスポーツボクシングジム」が地元にあるということから、通っていた中学校も、このジムの周辺地域にあると考えて、間違いなさそうですよね!
そのため、原田周大選手の出身中学校は、北九州市立曽根中学校の可能性が高いのではないでしょうか。
豊国学園高校
中学校卒業後、原田周大選手は、九州市にある豊国学園高校に進学しています。
豊国学園高校のボクシング部は、インターハイの常連校で、ボクシングの強豪校として有名な高校です。
そんな、豊国学園高校で、原田周大選手は、本格的にボクシングに取り組み始めたようです。
その後、「遊び感覚だった」という中学時代とは打って変わり、高校では”本気のボクシング”に変化。「片っ端から鍛えられた」とチーム内で下位のスキルだったが、地道な努力を続けた。しかし、1年時に新人戦で初戦敗退。精神的に深く落ち込んだ。それでも原田は立ち上がり続ける太い反骨心の持ち主。先輩からの進言を受け、戦うスタイルをファイタータイプから相手を見て考えながら戦う型に変化。自分の練習や試合の動画を見返しながら分析してスキルアップするとともに、今となっては代名詞である左ジャブを徹底的に磨き上げた。すると、3年時の国体では準優勝を成し遂げる。「失敗から学ぶ姿勢」「考えるボクシング」を手に入れた原田は大学でも競技の継続を決意。加えて「ぼやっとだけど、オリンピックに出られたらいいな」と胸を膨らませていた。
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最初はなかなか勝てずに、辛い想いをしたこともあったようですね。
しかし、それでも諦めずに、努力を続けたおかげで、現在の原田周大選手の成果に繋がったことが分かります。
日々厳しい練習を重ねたことで、2年生の時には、全国高校選抜大会で3位、そして、3年生のインターハイでは、全国3位を達成するほどの実力に。
その他にも、福岡代表として出場した、茨城国体で準優勝を勝ち取るなど、高校時代には多くの輝かしい功績を残しています。
すると、3年時の国体では準優勝を成し遂げる。「失敗から学ぶ姿勢」「考えるボクシング」を手に入れた原田は大学でも競技の継続を決意。加えて「ぼやっとだけど、オリンピックに出られたらいいな」と胸を膨らませていた。
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この頃から、オリンピック出場を視野に入れ始めていたようですね。
ボクシングを始めてたった数年で、全国大会で入賞できるとは、ものすごい努力をしてきたことが分かります!
原田周大選手は、卒業後の現在も、年に数回は、母校の豊国学園高校で、後輩たちの指導をしているそうですよ。
将来、後輩たちが日本代表に選ばれる日が来るかもしれませんね!
専修大学 法学部
原田周大選手は、2020年に、専修大学の法学部に進学しており、現在は現役4年生です。
専修大学は、様々なスポーツで全国的に活躍しており、オリンピック選手も多く輩出しています。
プロボクシングの元世界チャンピオン、山中慎介選手も、専修大学の卒業生です。
そんな専修大学で、原田周大選手も、全日本選手権バンタム級で2連覇するなど、素晴らしい成績を残しています。
実は左耳が潰れている。柔道やレスリングの選手に多い“餃子耳”だが、ボクサーでは珍しい。スパーリングで実力者の先輩ボクサーに「ボッコボコにされたから」と笑う。国体準優勝など高校では日本一になれないまま、専大2年で全日本選手権バンタム級優勝。突きつけられた課題を都度クリアし、ようやく花が咲いた。
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負けを何度経験しても、けっして諦めない姿が素晴らしいですよね!
しかし、コロナ禍で、大学生活を思い通りに過ごせなかった日々もあったようです。
生まれ育った故郷に別れを告げて上京し、待ちに待った入学。だが、突如コロナウイルスに翻弄された。制限された寮生活が続き、全く練習ができない日々が続いていった。「このままでは何のために大学にきたのかわからない」。原田は覚悟を決め、夜な夜な部員を呼び出し、必死に説得した。「みんなで頑張ろう。俺は勝ちたい」。熱意は仲間の理解を呼び、自主練習を繰り返してスキルを身に付けた。
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行動が制限されていた中でも、練習することを諦めず、自ら周りに声をかける姿が、素晴らしいですよね。
そうした努力が実を結び、多くの結果を残すことができたと同時に、本格的にオリンピックを目指すようになったそうです。
- 22歳以下のアジア大会で準優勝
- 世界大学選手権3位
- 全日本選手権のフェザー級で2連覇
しかし、世界レベルで闘い始めたことで、自分の実力の足りなさを実感し、落ち込んでしまったとか。
そんな中、同じくパリ五輪ボクシング代表に選ばれた、岡澤セオン選手に誘われ、海外に修行をしに行ったそうです。
そして昨年5月、満を持して臨んだ世界の舞台。しかし、再びどん底を味わった。まさかの1回戦負けを喫し、海外で勝つ難しさを体感。「何がダメなのか。どうしたら勝てるのか…」と悩む中、ライトミドル級の岡澤セオン選手に声をかけられた。「自分の目で見てこい」。すぐにウズベキスタンとカザフスタンへ修行をしに行った。そこで世界1位とも言われるウズベキスタンの選手たちと対戦し、勝つための秘訣を体得。さらにイタリアに渡り、実戦を積み重ねた。
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海外でいろんな経験を積んだことで、スキルアップはもちろん、精神的にも自分に対する自信が戻ったようですね。
岡澤セオンの家族構成は、こちらの記事にまとめてありますので、合わせてご覧ください。
そして、2024年のアジア大会では、決勝で負けてしまったものの、パリ五輪への内定が決定!
世界王者であるウズベキスタンのハロコフ選手と対戦するも、2ラウンドノックアウト負けを喫した。「五輪出場を決めた嬉しさより、負けた気持ちが大きい」。
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夢だったオリンピックへの出場を決めるも、決勝での負けが悔しかったそうですが、「負けてから強くなれるのが強みだと思います」と、諦めない強い姿勢を、見せていたそうですよ。
原田周大選手の、オリンピックでの活躍が、楽しみですね!
まとめ
この記事では、原田周大選手の学歴について、まとめました。
オリンピックでの活躍に、ぜひ注目したいですね!
原田周大の家族構成について、こちらの記事をご覧ください。
パリ五輪ボクシング日本代表の、岡澤セオンの家族構成は、こちらの記事をご覧ください。
パリ五輪陸上男子日本代表の、中島佑気ジョセフの家族構成は、こちらの記事をご覧ください。
パリ五輪卓球女子日本代表の、早田ひな選手の学歴は、こちらの記事をご覧ください。
パリ五輪レスリング女子日本代表の藤波朱理の学歴は、こちらの記事をご覧ください。
パリ五輪クライミング女子日本代表の森秋彩の家族構成は、こちらの記事をご覧ください。